皆さん今日は!! 志賀(父)です。 今朝の新聞で 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関イコモスが 世界文化遺産に「百舌鳥・古市古墳群」を登録するよう勧告しました ↑↑↑ 百舌鳥(もず)古墳群と 古市(ふるいち)古墳群は日本最古の古道 竹ノ内街道で結ばれています。その竹ノ内街道が通っている松原市も 脚光が浴びればいいのですが さて、数十年月刊誌「致知」を愛読しています、先日知人に人生の心の 糧にと、この本を紹介しましたら 致知出版から万葉集一日一首 「美し い日本の心をよむ」と「感動」エッセイを頂きました 何か心を打たれました エッセイは見ずらいと思いますので書き出してみます 無名有力の人 徳永康起先生の教え 坂田道信(ハガキ同伝道者) 徳永康起先生は熊本県の歴史始まって以来、初めて三十代の若さで 小学校の校長先生になられたほど優秀でしたが 「教師の仕事は教壇に立って教える事だ」 と 五年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。 だからどの学校に行っても校長に煙たがられたと思われますね。 自分より実力が上なものですから。 それで2年ごとに学校を出されてしまうんだけど、行く先々で教師たちが 一番敬遠している難しいクラスを受け持って、みんな勉強好きに 変えてしまうんです。授業の前に児童たちが職員室に迎えに来て、 騎馬戦みたいに先生を担いで、 「ワッショイ、ワッショイ」 と教室に連れて行ったと言うんです。 先生 早く教えてくれって。 (中略) これは戦前の話ですが、 「明日は工作でナイフを使うから持っておいで」 と言って児童たちを帰らしたら、次の朝 「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」 と言う子が現れました。先生はどの子が盗ったか分かるんですね それで全員外に出して遊ばせているうちに、盗ったと思われる子供の 机を見たら、やっぱり持ち主の名前を削り取って布に包んで入っていた。 先生はすぐに学校の裏の文房具屋に走って、同じナイフを買い、盗られた 子の机の中に入れておきました。 子供たちが教室に帰ってきた時、 「おい、もう一度ナイフを探してごらん」 と言うと 「先生ありました」 と 言うんです その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。 それから時代は流れ、戦争中です。 特攻隊が出陣する時、みんなお父さん、お母さんに書くのに、 たった一通、徳永先生宛ての遺書があった。 もちろんナイフを 盗った子です。 「先生、有難うございました。あのナイフ事件以来、徳永先生のような 人生を送りたいと思うようになりました。明日はお国のために飛び 立ちます・・・・・・」 という書き出しで始まる遺書をのこすんです。 「致知」2008年3月号 徳永康起先生 大田郷小学校のメニューから ↑↑↑ 志賀(父)でした それでは、また。 ランキングに参加しています。 ポチっとお願いします 今日は何位かな? ↓↓↓↓↓↓ 建設・不動産業 ブログランキン
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